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2007年8月1日水曜日

「~小児科医・松田道雄さんとの再会~」

今月から皆様の育児の参考にしていただけたらと、 『育児のヒント』を
記載することといたしました。
今回は湘北短期大学 保育学科教授 野口周一先生です。

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 私が高校 1 年生だったのは 40 年ほど前のことです。その年にはソニーの創業者・井深大 氏が講演に来校され、また標記の松田道雄さんの『私は赤ちゃん』(1960 年)『私は二歳』(1961 年)<いずれも岩波新書>にも出会い、乳幼児を語り手にした育児についての鋭い問題提起 に魅了されたものでした。
 松田さんのプロフィールをご紹介しますと、氏は1908年生まれ、当時亡国病といわれ た結核の専門医から出発し、やがて小児科医として活発な提言をするようになりました。松 田さんは京都の街の一開業医として、診察室での観察にもとづいて上記の二書をユーモアに あふれた語り口で叙述したのでした。
 松田さんにはロングセラーとなった『育児の百科』(岩波書店、1967 年)があり、これに も思い出があるのです。私は大学時代に第二語学はロシア語をとりました。そのS先生のこ とです。先生は大学のパートタイム講師として貧窮を極めていた頃、生活費が底をつくとキ ャベツで飢えをしのいでいたと語っていました。世は昭和元禄と呼ばれ好景気に浮かれてい た時代でした。先生の強靭な精神力は、ロマの人々(かつてはジプシーと呼ばれていましたが、 いまは差別用語として用いられていません)とともにロシアからスペインへの徒歩旅行の最中で育 まれたものと思われます。先生は奥様との「共同生活」のなかで子育てにも努力され、病気の お子様を病院に連れて行き症状を説明したとき、担当医から「あなたは医者か」と問われた そうですが、その医学知識は『育児の百科』から得たものだと自慢していました。また、私 に娘が生まれたとき、従姉妹から『育児の百科』をお祝いにと言われました。このように、 この本は市井の人々から多くの信頼を得ていたのでした。
 さて、冒頭の二書がいかに画期的な書物であったかについてお話をさせていただきます。 松田さんは「診察室で毎日さまざまの赤ちゃんに接しながら、赤ちゃんは両親や他のおとな から、かなり不当な取扱いをうけているのを感じていたので」、 「赤ちゃんの立場から親た ちに注文するようなものを書く」(『私は赤ちゃん』188 ページ)という視点から、育児に悩 む母親に助言を通してエールを送り、かつ子どもの人権を守るという明確な主張を打ち出し たのでした。
 その松田さんも 1998 年には亡くなりました。昨春、私は湘北短大に歴史学から転じて教 育学担当として迎えていただきました。 そのとき「これで松田道雄研究にいそしめる」と 思いました。氏との再会の意味です。松田さんは『ロシアの革命』(河出書房新社、1970 年)という著作をもつ立派な歴史家でもありました。私は歴史学徒として出発しておりますので、皆様に「温故知新(おんこちしん)」(古い物事を研究して新しい知識や見解を持つ)という言葉を贈 らせていただきます。人間の考えというものは古いから価値がなく、新しいから素晴らし いなどとは言えません。医学知識はさておくべきでしょうが、それを用いるのも人間だ ということも忘れてはいけないと思います。松田さんの本は出版からやがて半世紀を経よ うとしています。是非この機会にご一読いただきたいと思います。私も 1 8 ヶ月の男 児の子育てに奮闘する娘に、この二書を渡してきたばかりです。ここには現代のさまざま な問題の答えがぎっしり詰まっているのです。 


湘北短期大学 保育学科教授 野口周一